人生100年時代・・・ライフデザイン・アドバイザー マサキの行き方

ライフ・デザイン・アドバイザー 正木宣が人生100年時代といわれる中で考えること、動くこと、その記録

65歳の感懐・・・

今日は誕生日、65歳になった

 我ながらおめでたい時期に生を受けたと思うが、今日、12月25日クリスマスが誕生日になる。

 いつも聞かれることだが、「じゃあ子供の頃は、クリスマスと誕生日が一緒でつまんなかったんじゃないですか?」と。

 確かに自分家は貧しかったけれど、どういう訳か、物が色々わかるようになってからだが、別々に過ごした気がする。・・・・概ねは、当時子供のいなかった叔母夫妻が招いてくれて、クリスマスイブを家で過ごし、クリスマスは誕生日として叔母の家で過ごすことがなにやら習慣のようになっていた。

 だからプレゼントはあまり記憶はないけれど(多分貰っていたとは思うのだが)ケーキが2日続けて食べられる、そのことが自慢だった記憶がある。

 さすがに仕事に就いてからは、外食という仕事柄、休みであることはなく、仕事の後一人の時はひっそりと、結婚してからは、嫁や嫁の家族と過ごすようになってはいたが、それももう65回目を数える。

 

意外とワクワクしている65回目の誕生日

 65歳といえば、もう定年、と言っても、60歳よりも早く退職していたので、「定年」という言葉とは無縁で、そういえばもうそんな歳なのだ、という感懐と、なのに仕事に恵まれている幸運になにやらむず痒さを覚えてしまう。

 同時に、これで名実ともに「年寄」の仲間なのだ、とこれも感慨深いものがある。

 早速高校時代の友人からフェースブック経由で「年寄の仲間入りおめでとう」とコメントが寄せられたが、まさに、まさにである。

 同時に今まで見えなかった景色が見えるようで、ワクワクしている自分がいる。

 日本でいう「団塊の世代」の終盤に引っかかっている身の上として、アクティブシニアへのプロモーションなどの仕掛けが色々用意されていそうだからだ。

 色々な「特典」というか割引というかが存在していそうだし、特別にイベントなども仕掛けられていることを楽しもうと考えているからだ。

 ま、残念ながら、見た目からも、まだまだ年寄扱いはされないだろうけれど、これで待遇面などは60歳と違って色々享受できそうな予感でワクワクなのだ。

 うん、65歳も悪くないかもしれない

教員採用が過去最低という記事を読んで

教員採用試験の競争倍率が過去最低を記録したらしい

 今朝の読売新聞によると、2019年度に全国で採用された公立小学校教員の採用試験の競争倍率が1991年度に並んで過去最低の2.8倍、前年比0.4ポイント減を記録したとのこと

 文科省はその要因として大量採用世代が退職を迎えて採用者数が増えたのに加え、民間企業の採用が好調なため、既卒者の受験が減っていることなどを挙げたという

 さらに新卒者がほぼ横ばいだったのに対し、既卒者が減少傾向にあることを踏まえ、「民間企業の採用が好調であることなどから、教員採用試験に不合格となった後に再挑戦する層が減っている」という分析も加えているよう

 当然優秀な日本の官僚の分析なので、おおよそはそうかとは思うが、でも本当?それだけ?と口を挟みたく成る。

 

 

教員という職業について考えてみる

 

 ボクが就活支援を依頼されている大学は、文系のみの大学であるが、元々が漢学塾から出てきたこともあってか、「教員」志向の学生が相当数いる。

 ただし、残念ながら教職課程は中・高校しか予定されておらず、小学校教員になるには、別の提携大学等のカリキュラムを別途受講しなければならない。

 また、中・高校教員の公立採用試験をみると、やはり志願者が多いのか、採用試験の難度は高く、現役で採用試験に受かるのは大変で一時期「5浪6浪」の世界ということを聞いたこともある。

 今は少し難度が低下しているようでもあるが、(まさに大量採用世代の退職が影響?)依然、大変厳しいと考えている学生がいることは事実だ。

 そんな現状から、以前、現在教師をしている高校時代の友人にそれとなく聞いたところ、中・高に比べると小学校の方が難度は低いらしいのだが、本学学生にとってみればその分余計に受講時間を増やさなければならず、おそらく費用もその分かかるので、意外と小学校教員を目指しているという声は少数だった。

 そういう難関もあるかもしれないが、それよりも、問題は教師という「仕事」自体の大変さにもあるのではないか。

 特に教師は法律で定められているところから、民間のように残業手当が支給されるわけではない。にも関わらずやることが多くて、まさに今の若い人々が敬遠する「ブラック」的職場の典型とも言える環境にあるということが最近わかってきている。

 その意味で、個々の使命感に期するところが多いような職業ではないか。

 「働き方改革」には異論はあるが、それでも民間は「残業」の抑制や「ワークライフバランス」への配慮などの動きが少しづつ出てきている。ならば、ブラック的環境にあえて行かなくても、試験がダメなら、民間へという動きがあっても仕方ないことかもしれない。

 ただ実情をいえば、そう甘くもないのが今の就活事情でもあるのだが。

 

 何れにせよ、教育は将来の日本にとっては欠かせない重要な要素と考えてはいるので、この問題はまた改めて取り上げて見たいと考えている。

 

 

 

 

お金の流れで読む日本と世界の未来byジム・ロジャーズ〜世界的投資家に学ぶ

 はじめてジム・ロジャーズに触れる

  あまりジム・ロジャーズには関心がなかった。

  ま、世界3大投資家にも掲げられるので、関心がなかったというのは当たってないかもしれないが、その他の二人、ジョージ・ソロスウォーレン・バフェットに比べると、あまりその取りあげられた記事などはなぜだか読んでこなかった。

 攻撃的なソロス、守りというか堅いバフェットの中間なのかなぁ、程度の関心だった。

 でもリーマンショック、中国の台頭、トランプ大統領の当選などを的確に予測してきた手腕は本物で、でも彼いわく、謙虚にそれは歴史を学び、さらに出てきた事象、事実から論理的に思索していけばわかることという。

 実際、劇的な米朝首脳の邂逅の後少し停滞しまた互いにけん制しているが、北朝鮮のこともいずれ開国すると読んでおり、実際にいろいろ情報を取り、調査し、そのうえで、いよいよアジアの世紀が本格化するということも指摘している。

 だから、この本を読んでジム・ロジャースへの見方は劇的に変わったと言える。

 

歴史に学ぶ、本から学ぶ

  そして「歴史に学べ」とはよく言われることで、投資家なりコンサルタントなりはよく歴史を見ながら予測していることは知られている。
しかし、ロジャースは、実際に自分の目で見れるものは見て、確かな筋から聞いてそこで初めて理解するという点に大いに啓発された。

 自分なりに今起こっている事象を見てこうなるのではないか、とは漠然と考えてはいるが、そういうちゃんと頭を使うこと、人の意見に左右されないでちゃんと自分の五感をフル活動させて思索し行動することの重要性を改めて確認したし、続けていこうと考えた。

 ロジャース流に、今後の世界経済の動き、日本の分析、中国そして朝鮮半島またインドやその他アジア諸国アメリカ、ヨーロッパ等々についてその思索の跡を辿りながら意見が語られ、それを紐解く知的な作業はまさにこの本を読む醍醐味であった。

 

 ただ、ボクも意識しているが、世界恐慌の種は少しづつ拡散しているきらいがあることまた日本がいよいよ第一線からは離れるそのことだけは当たらないで欲しいとは思う。

 

 そして実際に自分の目で耳で確かめる姿勢、大いに啓蒙された。

 

主夫、主婦に褒められる

最近、妻がポツンと言う

 先ほど食事をしていて妻がボツリと言った。

 食事の準備をしたのは、ボクがやったのだが、内容と時間などを見て、「以前はこんなに<あるもの(食材)>で作れなかったのに、作れてさらに見栄えも手際もよく、短時間で美味しそうに作れるようになったね」と。

 そういえば、先週の火曜は雨の予報で、どうも寒くなるようなので、1週間のこと考えて買い出しに向かった。ボクは月・火は家にいるのだが、昼食を済ませ、妻は寝ているから、というので、車を使う。

 当然、今日の晩御飯どうしようか?とか、自分が仕事の日の食事を妻が手をわずらわさせないよう考えつつ、で、今日ご飯どうするの?と聞かれたので、冷蔵庫に残っているのが○○だから、こういう買物をしてきて追加でこうすると構想を伝えたら、なんと「え、考えていたんだ、すっかりシュフが身についたね」と褒められた

 ウチには主婦(夫)が二人いることは以前取り上げたが、こうして自分はまだ主婦とプライド持って言われる妻に褒められたのはなんとなく照れ臭いが良い気分。

 流石に出かけるので、飛び上がって喜びたい衝動を抑えて「ありがとう」とさりげなく伝えたことを思い出す。

 これで晴れて我が家の「主婦」のお墨付きをいただいたような感じだ。

 

主夫としての務め?

 

 ただ、シュフの仕事は忙しい。結構家事に伴う雑事が多く、うまく時間管理しないと他に予定ある場合は実行できないこともでてくる。

 加えて、家計の管理、ではないが、冷蔵庫の中身をちゃんと把握してメニューを決めてしかも無駄がでないようにしなければならない。

 

 さらに、普通だと、子育てもあり、親の面倒もみて、など加わる場合もあるのだから、やはり主婦は偉大だ。

 

 最近は家事も手伝うし、イクメンとして子育ても手伝うようだけど、ボクらくらいの年代の夫婦はどうだろう。

 60代、多分すでに退職を迎えている方とまだ現役で仕事をしている人それぞれの状況によって違うとは思うが、いまだに夫の退職を機に離婚とか、別居なんて話を聞くとついつい寂しくなってしまう。

 

 シュフのやっていることも、実は仕事でやっていることと差はないと思えるし、最近のデータでは家事も換算すると普通の勤め人くらいの給与を支払わないと合わないとのこと。

 別段、男性が家事をする、または手伝うこともやってもいいのでは、と思うのだ。

 

 俺は稼いでいるなんて、もうそんな考えは通用しない。

 

 そんなことも思った日である

検査入院決まる

生体検査入院決まる

 今日は病院のため学校を休んだ。
事実上、最後の出勤予定なので、今日で大学キャリアセンターでの仕事納めを終えた。

 実は人間ドックを受けた際に、「腫瘍マーカー」が注意を促していて、前立腺でもあり、年齢もあるので、スルーしていたのだが、やはり気になり、かかりつけの先生にも相談して血液検査して、数値自体は下がったが、グレーゾーンでもあったので、紹介いただいて、大きな病院で定期的に通いながら、今日、生体検査入院を決めてきた。

 

 

やはり気になるものだ

 なんやかや言いながら、死ぬのは怖いと見える。

 前立腺肥大はそれで明らかになり、頻尿とも言える原因は明らかになった。ただ、腫瘍マーカーの数値が安全圏にいたらず、MRIも含めて各種の検査なども受けて、それでも結局グレーゾーンにあるままなので、どうしますか、と問われていた。

 先生からは多分数値も安全圏にはないが、徐々に下がっているし、MRIや触診その他も多分大丈夫だろうと思えるのだが、それでも数値が下がらないので、あとはあなた次第ですよ、と言われていた。

 そこで夏休みを契機に受けようと思っていたのだが、妻の事故があって、今まで延びて、流石に決着つけたくて、今回の決定をした。

 正直やはり死は怖いものだ。

 前立腺ガンに関しては今手術自体も新聞などの資料によるとほぼ90%を超える生存率、成功率でもあるので、心配することはないのだが、このモヤモヤが続くことはやはりイヤだったということだ。

 だから、年を超えて1月13日から検査入院を決めてきた

採用活動の早期化?またはルール不透明の影響か、2年生も動いている

何と1年生からの相談予約が入っていた

 

 今までもまったくなかった訳ではないが、4年生の予約はほとんどなく、3年生の面談予約、しかも選考に対する相談がほとんどになってきた。

 当然、これは就活ルールを決めていた経団連が2020年度までで終える、とし、とりあえず2021年度は政府が同様にということでアナウンスはしたが、結果としては明確に設定されていないことからくるものか、との考えがある。

 

 そして、予約をみたら、なんと1年生からの予約も入っていた。

 昨今、本学の学生(つまりは「普通」の大学生)でも、インターンシップが「採用につながる」との情報は、その濃淡はさまざまではあるが、入手していて、キャリアセンター主催の就活イベント(キャリアゼミ)でも「インターンシップ」の回は今回相当数の参加があったように思える。

 ただ、その中身といえば、一部はすでに「自己分析」も終え、いかに自分のキャリアを見据えたインターンシップを活用するか、そこに焦点をおいている学生も居るには居るが、大半はまだまだ「自己分析」過程にあると思え、「企業」についてもセミナーで取り上げる情報についていくのが精いっぱいの様子がうかがえる。

 参加報告書を読んだ限りでいえば、どちらかといえば漠然とした「自己認証」と適性検査との差にフォーカスした感想がそれなりあり、適性検査で示される「向いている業界」についての「とまどい」が多く感じられるのだ。

 インターンシップはあくまでも「就業体験」という立場からすれば、それでも良いのかもしれないが、一抹の不安を覚えるのはなぜだろう。

 

自ら考える経験の差が就活格差につながっているかもしれない

  おおよそ2011年から「情報爆発」が起こり、情報量が膨大に増えた。

 膨大な情報が巷間にあふれ、その情報の渦のなかでいかに有用な情報の取捨選択ができるか、それが「今の」情報化社会の様相だと考えている。かつては権力者やその取り巻きが「情報」を得やすくその入手した情報を独占しまた加工することで格差を生み、持たざる者を支配してきたのだが、今はだれでもが簡単にネットなどから情報を入手できるので、いままでの「格差」は違った形で出てくるだろうといわれている。

 でもそんな様相は実は表層的だとボクはとらえている。

 依然、情報量の差は「格差」につながるし、さらにその本質は「情報」の扱い方の巧拙にあるのだろう。その「扱い方の巧拙」が差を生むのだ。

 ひとつはよく指摘されている通り、「情報」を単なるInformationからInteligentにするその「情報」を吟味し「考え」「実証」したり「実験」したり実践につなげられるか、ということ。

 ただ本学の学生など見ている限り感じるのは未だに「情報量の差」もあるなということ。つまりは「量」で確保するための「情報」の取り込み方すらも違うのではと感じさせることだ。

 だからそこで経験してきた差が実は入学した大学の差につながっているのかもしれないということだ。

 ただ、救いは実名を挙げれば「東大生」だってすべてそうではないということだ。今の受験システムを考える限り、海馬などの記憶回路へのアクセスがうまい人間が受験でうまくいっている可能性は十分あるのだから、まだ学生のうちに、そうした「情報」を「量」でとる手法ととった「量」をふるいにかけて「質」を高める方法を見つければ、社会での逆転は十分に可能だと思えるのだが・・・

 まだまだそれを浸透させえていない自分のふがいなさを思っている

成せば成る・・・

「成せば成る」言葉は結構知られているが・・・

 先日、TVを見ていて、久しぶりに上杉鷹山の話が出た。

 ボクが知ったのは、J・F・ケネディが推奨した人物ということで興味を惹かれ、関連の記事や本を読み漁った。確か社会人となってまだ間もない頃だったかと記憶しているが、まだインターネットなどなかった時代、紙媒体しか資料は無かった時代だ。

 何かこういうのはブームのように来るのか、今回はケネディ大統領の話も出るが、オバマ大統領時代に駐日米国大使を勤めたケネディ大統領の娘さんである、キャロライン・ケネディさんの「父が東北のヨウザン・ウエスギを・・・」との話がまず紹介されていた。

 鷹山のことはケネディに紐づけられて記憶されていて、どちらかというとその功績、業績に関してはかなり記憶があいまいだったが、それでも当時の名門上杉家(上杉謙信の後裔、今は「愛」を兜の前立てにした直江景次の主君だった上杉景勝の後裔)を継いだものの、当時としては当たり前だった大名家の借金、それを倹約を基本としつつ立て直しさらに産業を殖産することで今でいう財政を立て直したということはうっすらと覚えていた。

 

なぜ今更上杉鷹山

 しかし今回、番組をきっかけにしておさらいしてみると、時代状況が何やら今の状況に酷似しているし、その実践した内容は実は定番的な内容でしかないのだが、まさにその言葉通り、「成せば成る、成さねば成らぬ何事も、成さぬはことをなさぬなりけり」に通じると思った次第だ。

 

 やっていることは、倹約・節約つまり「使い道」を再確認し、有効に使うこと、それをトップ自ら実践すること、さらに「節約」というのは使うべきものと使わなくてもいいものを峻別し厳格に運用していくこと、そしてそれだけではなく、新たに産業を起こし育成していくことと常用手段ではある。

 ただそれを本当にやるか、やらないか

 当時に於いてもどの藩も財政難には苦しんでおり、立て直しに成功した事例はいくつかあるように思えるが、小説や時代劇などのドラマにみるようにそれが持続されていくことは難しく(だいたいはそこで功労者たる家老等の実力者が権力を蓄え今度は専横側になっていく)、さらに鷹山の場合、藩主自ら先頭に立って行い成功させたところが評価されているのかもしれない。

 ただ手法としては、当たり前のことを当たり前にやっている。

 

 だから「成せば成る・・・」の言葉が残っているのではないか、そう思った次第だ。