マサさんの日記(仮)

ライフ・デザイン・カタリストが今、考えること、動くこと、ブレイン・ワークなどの記録えお綴ります

もし明日が来ないとわかっていたなら・・

もし明日が来ないとわかっていたなら・・・

 正確に覚えてはいないのだが、確かそのような題だったよう記憶している。

 アメリカの911同時多発テロ事件でニューヨークのワールドトレードセンターで亡くなった消防士の家族(多分、奥様か)が詠んだ詩の題名。

 ただいつものように送り出したけど、もし明日が来ないとわかっていたなら、こんなことも、あんなこともちゃんと言っておけばよかったと、詠まれている。

 これは311、東日本大震災でも、なくなった多くのご家族のインタビューなどで耳にしたことでもある。

 文章にしてしまえば不遜な感じにもなるのだが、・・・実はそういう日が自分にもあった。

 

あれだけ祈ったことはなかった

 忘れもしない2020年9月20日、忘れたいこともあり酒を飲んで、妻が珍しく早く寝ると言った日。さほど飲んだように見えなかったが、生返事してTVを見ていた。
その後、転倒する音がして妻が結局は脳挫傷で意識不明となって救急車を呼んだ。

 最初の大学病院ではコロナ禍の最中でもあり、検査して脳に血が溜まっていることが判明したが、手術を執刀できる医師がおらず、今、転院先を探していると言われた。かなり危険な状態であるということも添えて。

 その長かったこと。

 やがて受け入れ先が見つかり、同じ救急車で運ばれ、緊急手術が行われることになった。そこでまず確認されたこと。懸命に処置はするが、経過時間や怪我の内容、部位から、植物状態になる可能性もあるが、手術するか、どうか。簡潔簡単に状態を伝えられ、その選択を迫られた。

 当然、手術を望み、その上で色々聞かれ、いくつかの書類にサインして手術が始まった。

 そこから待合場所で待機していたが、やがて別室、多分、診察室のようなところに案内され、そこで待機していた。

 なんと長いこと。
そして、ふと先の「もし明日が来ないとわかっていたなら・・」という詩が浮かんできたのだった。

 その以前にもベランダから落下して頸椎を骨折し、ICUに運ばれたこともあったが、その時は意識もあったので、不吉なことは考えなかったが・・・

 流石に今回は・・・と、大丈夫と、もし、というのが行きつ戻りつする。

 どれくらいの時間が経ったろう。深夜に運ばれ、明け方に近かった。

 執刀医の先生が来られ、脳内に溜まっていた血は全て抜けた。手術は成功と告げられた、その時の安堵感、力が抜けるような安心感を今でも思い出す。

 そしてまだ気は立っているかとは思うが、帰って休むよう看護師さんから告げられ、ICUに運ばれた妻の顔をガラス越しに見て帰宅の途についた。

 もし明日が来ないとわかっていたなら・・・

 災害やアクシデントなどでなく、実はいつでも起こり得ることだと、そんな思いを巡らせながら帰ったことを覚えている