人生100年時代・・・ライフデザイン・アドバイザー マサキの行き方

ライフ・デザイン・アドバイザー 正木宣が人生100年時代といわれる中で考えること、動くこと、その記録

就活または採用活動が大きく変わろうとしている・・・かもしれない

リクナビが3月いっぱい「合説」など中止する

 

 就活サイト「リクナビ」を運営するリクルートキャリアが、新型コロナウィルスの感染拡大を受けて2月22日から3月31日までの企業合同説明会、イベントを中止するとしたと共同通信が報道しました。

 そのことにより参加が見込まれた学生3万~5万人、企業約5千社に影響が及ぶとされています。

 対抗馬である「マイナビ」などはまだ発表されてはいませんが、追随する動きは十分に考えられることです。

 まあ、内定辞退の問題があったリクルートキャリアでもあるので、日本独特のいわゆる「自主規制」が働いたとも読めるかもしれません。

 実は今年はオリンピックイヤーでもあり、7月からの開催時期は採用活動が中断されることも予想されており、そのことも受けて、3月1日からの「採用情報解禁」を視野にいれつつ、企業の前倒しでの「選考」が水面下(ともいえず、結構、出てきてはいますが)で動いていて、例年になく、3年生の動きが活発です。

 

ここで「動き方」が試される?


 ただでさえ採用情報が錯そうし、活動に迷いが起こる「普通」の学生にとって、さらに「迷い」の要素が増えました。

 ただ企業にとっても、そういう意味では、合説など「リアル」に学生と接することができる場面の情報収集とともに、従来のやり方ではなく、オンラインを使った手法の研究・試行を進める良い機会であるともいえます。

 実際、今自己PRなどの「動画」を選考に据える企業も出てきており、今後5G環境をにらめばオンラインの活用が十分に考えられるところです。

 今の「動画」は基本自撮りを動画にまとめさせる「延長」的な要素もあり、例えば、You Tubeやインスタグラム、Twitterを普段使いできる若者層には有利に働きそうです。

 だから、むしろ問題なのは、そういう「手法」紹介に踊らされ、採用した「受け手」である企業の対応が大丈夫かな、と危惧しています。

 しかし、Zoomなどを使えば、やり方次第で、これまで集めてやってきた「集団面接」「集団討論」さえもチェック可能となり、むしろ海外も含めて対象を地方にも広げられ、優秀な学生の幅を広げることにつながるとも考えられます。

 基本、「採用面接」が、本当に「リアル」な遭遇がすべて必要と考えられないし、それよりも今後のリモートワークなども考えれば、そうしたツールを使えるかのチェックにも使えるように思えるのです。

 まだまだこれについては考察すべき要素は多々ありますが、経団連が就活スケジュール制定を取りやめた後のこのタイミングでまた「見直し」の要素が出てきたことに大きな意味があるような気がしてなりません。

韓国の映画「パラサイト」がアカデミー賞を受賞した

 アジア初のアカデミー作品賞受賞

 

 韓国映画「パラサイト」が、アジアで初めてアカデミー作品賞(脚本賞も)を受賞した。これはすごい快挙と思うのだけれど、マスコミに連なる報道はあまり取り上げられていない感じがする。

 まあ、日本が「中心」ではあるので、仕方ないかもしれないけれど、もっと注目されてもいいのではないか、とも思う次第だ。

 この映画はすでに「カンヌ映画祭」でもパルムドールを受賞しており、韓国社会の格差を描いた映画と紹介されていたので、いくつか迷ったが1月に妻と観に行っていた。

 社会の格差を描くという意味では、なにか喧伝されているほどでもなかったし、結構、終盤の展開は予測できない、なんて講評も聞いていたので、期待していったのだが、個人的には少し「いわれるほど?」と思った記憶がある。

でもまさに「パラサイト」

 

 

 しかし今一度原題でもある「パラサイト」から考えると確かにうなずけるし、ストーリーの展開なども面白く、なるほどな、と思う部分がたくさんあった。

 ただ最初の印象で、アカデミー賞にノミネートされているとは知っていたし、注目されているということも聞いていたけど、「作品賞」まで取るとは想像できなかった。

 確かに「時の運」もある。アジアの時代が実は来ているという説にも惹かれる。またハリウッドが「売れやすい」映画の製作に走った間隙をついたという説もある。さらに今は新型コロナウィルスなど大変な事象と重なってはいるが、アジア初の快挙ということそして世界に通用する映画ができるということをじっくり考えたい。

 

 



 

立春がきた

昨日は「立春」だった

 

 

 昨日は「立春」だった。
暦などを総合すると、実は日本には「新年」とよべる日が4つある。

 ひとつは当然、現在の暦(グレゴリオ暦)でいう「新年」の1月1日。別にこのことについては解説はいるまい。

 次は、「立春」。これは昨日のことだが、日本の旧暦の「新年」にあたる。旧暦は実は「月」の暦でもあり、穀物などの収穫に密接に連動しているといわれる。だから、体のリズムともあっていて・・・・などと蘊蓄が語れないこともないのだが、いわば日本の「新年」。

 そして、ついで3月の20日あたりにあたる「春分の日」。これは西洋占星術などで扱われる新年。この時の星座や星の位置によって「一年」の動きを予測する。雑誌などの「今年の運勢」などで取り上げられる西洋占星術系の占いは基本、この「春分図」といわれる星、星座の位置を読み解くことで導かれる。

 さらに4月の「年度初め」。日本は今も大半、この「年度」で動いていて、4月1日が日本の「公的」な新年といえないことはない。

 

 だから何だ、というわけではないが、ちょうど「立春」をよい機会に今一度記事を投稿してみる。

 それだけのことだ。

 

 

ますます深刻な事態が進んでいる

すでに内定率が80%を超えている?

 

 

 今NHKのニュースを見ていて愕然としてしまった。

 それが内定率が80%を超えているということ。さらに、その内訳ではないが、内定の企業数が2.0を上回っていること。

 これは以前も述べたかもしれないが、あくまでも情報源が明確でなく、しかもその平均値のはずなので、実態を表しているとは、経験上思わないが、それでも異常な数字であると考えた。

 むしろ企業よ、何してるんだ!! とも。

 多分、これは、普通である私が支援している学校の実数値とは異なるし、実態数値を言えばこの何掛けかの数値かとは思うのだが、結局は、ますます二極分化が進んでいるという証左ではないかと考えている。

 つまり、俗にいう「意識高い系」の数値であって、またはそれなりのブランド大学を主とする数値ということではないかということ。

 そして、中小企業や無名企業にとっては、確かに早く囲い込みたいという「焦り」というか考えもわからないではないが、あまりにも安直ではないか、ということ。



某大学では上級生が新入生にこの大学に入ったことで就職は安泰です、と言った

 

 

 

 これは何かのネットニュースかで見たのだが、確かに日本有数の某W大学で、入学式で上級生が新入生に語ったらしい。

 結局はいまだに採用がなんやかや言え、学校名などの要素で決まられていること。本当に「人」で見ているのか疑問ということ、だと思う。

 また、同じニュースで、ある企業が「内定辞退キット」なるものを販売し、それにはなぞって書けばいいだけの「文章テンプレート」が添えられ、その上で、解説動画がついて、こうすればいいと教えてくれるということ。

 これっておかしくない?!

 と言っても、実はボク 自身も内定辞退の相談があった際には、同じような手助けはしているが、それでも文章は自分で考えさすし、電話も、実際には今の学生が電話することに慣れていないことは事実なので、ある程度のことは教えつつ、でも自分で電話させる。しかも、しておいでといい、またはその場でさせて、結果を確認している。

 ただ、テンプレートや解説動画まで行くのはどうだろう。それを出す企業はまあビジネスだからそれもありと思うが、それに頼る学生って、採用してどうなの?と考えるのだ。

 今はどの企業も「協調性」は重視するが、一様にいうのが「自分で考え行動する学生」ではないのか、ということ。

 何か企業が焦るあまり、おかしい状況が起こっているなということ。
だから日本がビジネスで沈んで当たり前かな、という感想となる。

 

(これはまだ語り足りないので、継続して考察します)

 

 

採用の出だしが早くなって、ますます混迷が深まっている

昨日から実質の仕事始め

 昨日9日から実質の仕事始めで、キャリアセンターに出校した。

 まだ予約はないか、または未内定の4年生で継続して支援している学生から予約があるか、と思いつつ席に着いたら、3年生の予約が入っていた。

 そういえば、本来、ボクの契約は4年生を中心にしているのだけれど、12月頃より3年生の面談予約(相談)が増えてきて、3年生で埋まるという状態が続いていた。

 「人手不足」というキーワードが独り歩きして、その分採用活動が早まっているという認識はあったが、実際、3年生に聞くと、夏のインターン先からオファーがきたり、インターンに参加したら選考のオファーがあったりと、すでに「内定」を獲得している事例も散見できる。

 確かに例年、こうした「掟破り?」は存在したが、昨年度よりますますその度合いが強まっているのは確かだ。


 

インターンシップという名称が混迷させている?


 実はまだ2021年度も一応の採用活動の申し合わせ?は生きていて、3月広報活動解禁で6月選考活動解禁というのが、建前としての採用活動の決まりになっている。

 だから、就活サイト(リクナビマイナビなど)も公に「採用活動」に対してオープンするのは3月1日から、ということになる。

 そこで活用されたのが「インターンシップ」。

 日本での感覚では、インターンシップとは「職業体験」「就業体験」であり、1週間から10日間、実際にその企業で携わる仕事を経験しながら、仕事とは何かとか、この企業はどんなところなどを体験すること。かつ、そこにかつては、採用に直結させない、ということが加わっていた。

 しかし、本来のインターンシップ制定の目的は企業と就業者とのミスマッチの解消なのだから、採用の一環ともいえるわけで、だから決して「掟破り」ではないだろう。

 ただ、概ね秋冬だと1日、2日で学生を集め、講義して、グループワークなどさせるのが基本、これでは「会社説明会」といわれても仕方ないと思う。

 学生には、その点注意して、周りが行くから、とか無目的に行くのは逆効果だよ、とは伝えているが、相も変わらず、この国は、名称がいろいろ独り歩きして、本来とかけ離れていくのだな、と思ってしまう。

 言霊などといいながら、言葉をもてあそぶ・・・・なんなんだろう

 

 

七草がゆを食す

朝は七草がゆ作りから

  今朝は通常モードへの切り替えも考えて、ほぼ平常に近い時間に起きて、7日ということで、七草がゆを作ることにした。

 記憶が確かなら、七草がゆは、新年の挨拶周りなどでご馳走をいただき、胃腸を休め内臓をケアする意味で食べる習慣ができたと聞いた。

 すでにその謂れからは離れて、どちらかというとお正月行事の一貫の中に位置している感があるが、ここ数年、食べている。

 ただ七草はスーパーで販売しているフリーズドライ製の粉末のようなものが最初だったが、これでは何か味気ないと、ここ数年は、これもスーパーで販売している七草の詰め合わせたものを使用することになった。

 ただし、おかゆは市販のレトルトのものをずっと使用していた。

 今ウチにある炊飯器は優れもので、五分粥と全がゆが選べて作れるのだが、余ったら捨てるのも嫌だし、ここにところ玄米を購入していたという理由でもある。


 でも年末どうしても白米が食べたくて、白米も購入していたところ、妻が沢山のご飯を作ってしまったので、今日は作ることにした。

 

結構水加減が難しい

 よってご飯からおかゆを作るべく、ネットで検索してレシピを調べる。

 おおよその要領はわかっているのだが、ご飯と水の加減がわからないのだ。レシピも定量的であたはめられず、結局目分量でスタートした。

 先に七草をさっと熱湯にくぐらせ、細かく刻む。おかゆの状態を見つつ、七草を投入。

 と単に雑炊のような朝感じに仕上がる。

 ただ、それでも妻は喜んでくれ、珍しく完食となる。

 

 それでも余ったので、夜もいいかもというので、水を足して今度はかなりおかゆとなって食した。

 う〜ん、満足。

 そう七草がゆ

 春の七草をいまだに諳んじている。せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ・・・・・

 ま、そんな日常であった

 

これも次代に繋げたことかもしれない

国語力の低下がいわれている

 最近の学力試験の結果か何かで、国語力の低下が問題視されていた。

 それは文章を読んで理解する力=理解力の低下ということらしいが。

 その指摘を最初の見たのが、AIについて開発に携わった方が語られたことだったが、文章を読み解く力が劣ってきていると。来たる2045年にはAIが自ら学び、人間に追いつき追い越すとされる「シンギュラリティ」がやってくるとされ、そこでAIに東大の入試合格レベルまで学ばせようとしてきたが、まだまだ追いつかず、それだけ人間の力が見直されたのであるが、同時に指摘されたのが、でも、一般レベルでいえば、最近は理解力が低下してきているということだったかと記憶している。

 ただ、その理解力の低下ということについては、親の経済格差の問題として捉えることができたり、あるいは教育手法に問題があって教える手段を何とかしないとという問題に繋げて考えられたり。

 その解決策の一案として、今回問題になった大学試験への記述式の導入が掲げられていたと思う。

 それも採点の方法が問題視され、結局は先送りされてしまったが、昨日かのTV番組で実はそれも現在のセンター試験の内容もろくに精査しないで(基本現場を見ないで)決められたようだということが指摘されていた。

 さらには、先のAIの開発担当の方の話には続きがあって、こういうことを問題にすると、短絡的に「文章」を「読み解く」ことに繋げて、例えば看板の意味を選べとか、通達文書か何かを題材にして、何を問題にしているか読み解けなどという発想になりがちで、文学作品を読むとか、それに関連して文学の中の「行間を読み解く」などについて直接的ではないなどの指摘に繋がり、そこに恐れを抱いているという話があった。

 つまりは、やはり教えられる側の問題もあろうが、教える側の問題もあるはずなのだ
 

古(いにしえ)から「言葉」を大事にしていた、と思っていたが

 

 

 

 日本は古来から「言霊」などといって「言葉」をすごく大事にして、まさに「言葉」にしたことが実現されるように大事に扱ってきたという歴史があった。

 

 今でも文学作品だけでなく、様々なシーンで言葉と漢字を合わせたような用法や、ダジャレに象徴される言葉遊びなど「言葉」を活用している姿がたくさん見受けられる。


 ちょうど今日1月6日、「仕事始め」となった日に、問題あって引責辞任した日本郵政の新社長の会見が紹介されていた。

 そこで思い出したのが、逆に辞任することとなった日本郵便各社の社長会見での言葉だ。

 日本郵便の社長だったが、正確な言葉は忘れたが、「お国に大変なご迷惑をおかけし、その責任をとって辞任する」との主旨だったかと記憶している。

 

 その郵便各社は政争にもなった「郵政民営化」によって誕生した会社で、その意図は今まで国でやってきた事業を民間の知恵を導入することで、よりよくするということにあったかと思う。

 しかるに「生保」などで加入してもらう為にさまざな手段を使って加入させていたことの責任で結局は辞任に繋がったかと思う。

 ならば民間の発想ならば、まずあるのは「ご迷惑をおかけした、弊社を信頼して加入くださった方々」ではないだろうか。国はまだ有力な株主でもあるので、「お国」に対してもお詫びするのはありとして、まずあるのは「お金=収入」をいただいている顧客が先に来るはずだと考えるのだ。

 当然、会見はその部分だけなく他にも語っていたはずで、その文脈を知らないこともあるし、ニュースで切り取られたその部分だけで即断する訳には行かないことは十分承知しつつ、でもまずは「お国」が来る、この経営者の下では顧客不在になるはなぁ、と感じさせられた会見だった。

 なぜならいつも上=国を見ていたから、そういう発言になったのだろうし、とするならばその下も上を見て仕事するのかな、などと考えてしまう。(そういう意味では現場がやはり一番厳しくかわいそうである)

 これがしかも日本を代表する会社の社長の言葉なのだ。

 最近気になっているのはそれ以外にも国会中継などで耳にする官僚の答弁や議員の言葉、さも丁寧に聞こえるが実はそれ「敬語」の用法として正しいのかなというような言葉。「〜してございます」とか結構気になる。

 そして教員の戒告処分の新聞報道など。

 いわば範を示すべき「大人」からして、しかも優秀とされる人や教える立場にある人からしてなのだから、その子供たちが受け継いでも仕方ないのかと暗澹たる気持ちになってしまう。

 新年早々愚痴から始めてしまった。これも反省すべきことかもしれない。