マサさんの日記(仮)

ライフ・デザイン・カタリストが今、考えること、動くこと、ブレイン・ワークなどの記録えお綴ります

あの日を忘れない

ブログ再開にあたって

ブログ久々に更新し、再開すると決めた。

そして最初に選んだテーマが「あの日を忘れない」

しかも、今日、6月20日は、その日から数えて、2年と6ヶ月・・・・なのだ

いまだに忘れない9月20日という日。妻の、そしてボクの日常を変えた日。

それを記念日にしたい。

 

コロナ禍で味わったこと

妻の基礎化粧品

妻が化粧品が欲しいというので、たくさんあるなかで、結構気になる「あの」通販の基礎化粧品のセットを注文した。

一度妻名義で頼んだことがあり、妻は?になっていたが、以前、以前サンプルを申し込んだ人でも頼める、ということを聞いた気がしてものは試しで申し込んでみた。

記憶には間違いなく、サンプル請求できた。

最近、どうも「オールインワン」で、一つのクリームなどに何種もの機能というか効果が含まれているものが多いものがTV通販で紹介されているが、なんとなくそれでいいのか?という思いがあって、今回は同じく何度もTVでCMが流れてはいるが、その商品群にした

妻も元気な頃に幾つかの通販化粧品を申し込んで使用していた。主には「オールインワン」のものがほとんどで、それはあるクライアントから、同じ化粧品だけでなく、たまに違うものを使うことで肌の刺激になるということを聞かされ、頼んでいたという理由もあるが・・・

ただ今の化粧品だけは「高価だ」として躊躇っていた。「良いものは確かと思うけど」

 

思い切って頼んでみると・・・違った効果?が

いずれにしても8本のセットで構成され、中の4本がその中でも基本とされるセットになっている。主には保湿、肌の活性化、クリーム、そして保湿状態を閉じ込める、確かそんな流れだが、それだけの「手入れ」は以前の仕事ぶりからは面倒であったかと納得する

しかし実際、妻はまだ左手が十分に使えないので、ボクが手伝い、手引書を読みながら使ってみた。するとなかなか良い感じ。

それと高価とは言っていたが、「単品」でみると、さほど他の化粧品と変わらない。だからサンプルは朝晩3日分だが、残念ながら毎日朝晩で使用したわけではないが、構わないということでハーフサイズの基本4本セットを注文した。

実はそこで気づいたのが、意外な効果。

ボクが手・指を説明書通りに妻に施すのだが、どうしても手にまだ残る感覚がある。当然妻の手にも使うが、自分にも塗り込む

すると何やらボクの手にも「保湿効果」があるようなのだ。

このコロナ禍で、トイレを含め手を石鹸で洗うことが増えた分、最近、手の甲側などに何か違和感を感じていたのに、それが解消され、潤う感があるのだ。

これはこれで面白いことなので書いてみた

脳の回路を開くドライブ

今日も妻とドライブを楽しんだ

車を修理に出すので、妻と「しばしの別れ」のドライブをした。

さあ、どこにしよう、ということで、いろいろ考えてみたが、今日は都心部に行く気が起こらないとのことで、考えた末、二子玉川へまず行くことにした。

中原街道から多摩川沿いを走り、いつもなら等々力方面へ曲がるところを直進して、玉川病院近くでUターンして、戻り、結果、等々力から奥沢へ抜けるルート。

多摩川沿いの緑が映えて、あの「桜」好きの妻も緑の美しさを堪能したらしく、やっぱり緑のこの景色が良いという

話は身近な話題になって

そのうち、二子玉川駅をすぎたあたりで、この辺にお客様がいて、こんな方で、こんなことがあった、などと妻が話し出す。

ボク自身もその話は何度か聞いたことがあり、相槌をうちながら、感心したり、質問したりで、やがて玉川病院近くでは、彼女が股関節の手術した時のことやその時の見舞いの話などで、忘れていたこともあったのか、話が弾む。

やがて等々力に移り、そこでも以前居たお客様ですでに引っ越されていたことや、今もいるお客様の話など彼女が携わってきた仕事の中でボクも見聞きし、話してきていたことなどを帰るまでずっと話していた

脳の回路をつなげる

実は今の車に変えた目的の一つがそうして「思い出の場所」を巡ることで、記憶を呼び出すことができると気付いたところにある。

最初はリハビリの目的、動機付けとして以前のように車の助手席に乗ることだったが、いざ車が来てあっさり達成できると、さあ、次は何しようとなる。

病院暮らしが長かったこともあり、買物に行きたいというのも大きな動機ではあったが、以前にどこ行こうかと尋ねて、お客様が住まわれているところということがあり、そこでいくつかゾーン設定して動いてみた。

すると、今まで、電話連絡などでスタッフと話していても全く思い出せないと言っていた妻が、建物の外観や風景をみて、ここにこんな方いなかったということから始まり徐々にではあるが記憶が蘇ってきたのだ。

だから、特に目的もなく、外行こうという時には、脳の回路をつなげるためのドライブがメニューに入る。

まさに「しばしのお別れ」ではあるので、さらに記憶に定着せよ、とばかりに今日は車を流した次第。

 

もし明日が来ないとわかっていたなら・・

もし明日が来ないとわかっていたなら・・・

 正確に覚えてはいないのだが、確かそのような題だったよう記憶している。

 アメリカの911同時多発テロ事件でニューヨークのワールドトレードセンターで亡くなった消防士の家族(多分、奥様か)が詠んだ詩の題名。

 ただいつものように送り出したけど、もし明日が来ないとわかっていたなら、こんなことも、あんなこともちゃんと言っておけばよかったと、詠まれている。

 これは311、東日本大震災でも、なくなった多くのご家族のインタビューなどで耳にしたことでもある。

 文章にしてしまえば不遜な感じにもなるのだが、・・・実はそういう日が自分にもあった。

 

あれだけ祈ったことはなかった

 忘れもしない2020年9月20日、忘れたいこともあり酒を飲んで、妻が珍しく早く寝ると言った日。さほど飲んだように見えなかったが、生返事してTVを見ていた。
その後、転倒する音がして妻が結局は脳挫傷で意識不明となって救急車を呼んだ。

 最初の大学病院ではコロナ禍の最中でもあり、検査して脳に血が溜まっていることが判明したが、手術を執刀できる医師がおらず、今、転院先を探していると言われた。かなり危険な状態であるということも添えて。

 その長かったこと。

 やがて受け入れ先が見つかり、同じ救急車で運ばれ、緊急手術が行われることになった。そこでまず確認されたこと。懸命に処置はするが、経過時間や怪我の内容、部位から、植物状態になる可能性もあるが、手術するか、どうか。簡潔簡単に状態を伝えられ、その選択を迫られた。

 当然、手術を望み、その上で色々聞かれ、いくつかの書類にサインして手術が始まった。

 そこから待合場所で待機していたが、やがて別室、多分、診察室のようなところに案内され、そこで待機していた。

 なんと長いこと。
そして、ふと先の「もし明日が来ないとわかっていたなら・・」という詩が浮かんできたのだった。

 その以前にもベランダから落下して頸椎を骨折し、ICUに運ばれたこともあったが、その時は意識もあったので、不吉なことは考えなかったが・・・

 流石に今回は・・・と、大丈夫と、もし、というのが行きつ戻りつする。

 どれくらいの時間が経ったろう。深夜に運ばれ、明け方に近かった。

 執刀医の先生が来られ、脳内に溜まっていた血は全て抜けた。手術は成功と告げられた、その時の安堵感、力が抜けるような安心感を今でも思い出す。

 そしてまだ気は立っているかとは思うが、帰って休むよう看護師さんから告げられ、ICUに運ばれた妻の顔をガラス越しに見て帰宅の途についた。

 もし明日が来ないとわかっていたなら・・・

 災害やアクシデントなどでなく、実はいつでも起こり得ることだと、そんな思いを巡らせながら帰ったことを覚えている

 

連日のウクライナの報道を見るにつけ、暗澹たる気落ちに陥っている。

これは、先の東日本大震災の一連の報道を見続けた時のいろいろないマゼになった気分に似ていると言えるかもしれない。

ただ、いつもその時に頭の別の方で、ロシアのあまりにも戦前・戦中の日本との類似性にさらに暗澹たる思いを抱いている。

特に情報統制化におくこと、国民同士の反感を煽ること、その他もろもろ、これはまるで戦中の日本ではないか、と悲惨な思いに駆られるのだ。

思い出して暦を考える

昨日3月5日は啓蟄でした。

春の陽気を感じて虫がモゾモゾ土から出てくる。確かそんな意味合いだったかと。

実は日本の暦には七十二節季もあって、実は同じく5日は蟄虫啓戸「すごもりのむしとをひらく」と読みます。

基本同じ意味合いですが、古暦には「自然」の息吹が濃厚に感じられます。

そういえば旧暦はいろいろ今の暦から見るとややこしい決まりがあるようですが、月の満ち欠けに基づいていると聞いたことがあります。

大雑把に現在の太陽暦に対して太陰暦と呼ばれることがありますが、うろ覚えではありますが、なんとなく「文系国家」である日本にはこちらの方が合うようなそんな気がするこの頃です。

ヨーコ新車に乗る

せっかくだから試乗してみた

 我が家にきた新車、基本は妻のために買ったといえる。

 入院していた時、もうドライブにいけないのだろうか、とか考えていた、という。
ただ一度義母が車椅子が手放せなくなって、その時に一度ディーラーに車を見に行って、車椅子を積載できることを知った。当然、改造が必要ではある。それに障害を持たれた方が運転しているのも知っている。ならば・・・

と、検索してたら、それが「福祉車両」と呼ばれるもので、さらにはいろいろなタイプが用意されていることを知って、実際にディーラーに行って相談した。

 で、決めたのが助手席が回転するタイプ。

 ボク自身が、妻がずっと車椅子だけで生活することを願っていなかったこともあり、また運転しながらいろいろな話もしたいと思っていたので、選んだ。

 そして今日はリハビリでPT(理学療法士)さんの日なので、妻と相談して、リハビリを早く終えてもらい、どう対処するかを、実車を見て教えてもらった。

 その上で、トライしたいと言うので、やってみた。

 

試乗は最高の体験になった

 実は降りることはさほど心配していなかったが、乗る際に段差や向きを変える動作など本当にできるのかすごく不安で。
そこで丁度PTさんの日だったので、プロ?の視点で見てもらい、どうするか考えてもらったということ。

 思ったよりすんなりと乗れて、流れでは乗り降りを試すだけという感じだったが、案の定ドライブしたいとなった。

 当然、うまくいけばそうなることも予想していたので、発進し、近くの幹線道路を中心にこの辺を周回してきた。

 何と喜んだことか。

 そして、出た言葉が「もうお散歩は行かない」だった。

 リハビリを重ね、我が家の外階段を昇降できるようになり、なるたけ午前中、天候の様子や階段の状態を見て、車椅子で家の周囲を散歩の如く話ししながら移動していた。
それはそれで、すごく喜んだものだったが・・

 実際、妻の退院後の希望がドライブしてかつて行ったところに行ってみたいというものだったので、また一段、クリアした。

 さあ、これからはなるたけドライブしよう。